俳優の神木隆之介さんの実家が金持ちなのかについて調査しました。神木さんの実家は埼玉県富士見市。家族構成は父、母、祖父母、姉の6人家族。幼少期には大きな病気も患ったという神木さんのデビュー秘話や、ご家族とのエピソードも紹介します。
この記事では
- 神木隆之介の実家が金持ちと言われる理由
- 神木隆之介の実家の場所
- 神木隆之介の両親、兄弟、祖父母について
- 神木隆之介と母の関係
- 神木隆之介の幼少期の病気について
詳しく調べていきます!!
神木隆之介の実家が金持ち説の理由は2つある
「神木隆之介の実家が金持ち」と言われている理由は調べた結果2つあるようです。
- 神木隆之介が小さい頃から子役・俳優として活躍してきたため、その収入によって実家が金持ちになった
- 実家が代々の地主だと言われており、もともと裕福である
それぞれの理由について根拠を見ていきたいと思います。
神木隆之介の実家が金持ち説の理由①神木隆之介が子役・俳優として活躍してきたため
1つ目は神木さんの出演料によって、実家が金持ちになった説です。
2023年現在、30歳になる神木隆之介さん。
デビューはなんと2歳の時で、芸歴は28年になるそうです。
子役時代から、声優として『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』に出演、11歳のときには映画『妖怪大戦争』(2005年)で日本アカデミー賞・主演男優賞に輝くなど数々のヒット作に出演してきました。
また、デビューは2歳の時に出演したCMだということで、以降、たくさんのCMにも出演されています。
このことから幼少期から神木さんが稼いだ出演料は相当な額になると推測されます。
神木隆之介の実家が金持ち説の理由②実家が代々の地主だと言われており、もともと裕福
2つ目の説は、実家が代々の地主さんだと言われていることに由来します。
俳優・神木隆之介さんは埼玉県富士見市の出身。
ご現在も実家は富士見市内にあると考えられています。
鶴瀬駅前の写真館には神木隆之介さんの七五三写真が飾られ、鶴瀬小学校では神木さんが卒業生だと公表しているのでご実家は東武東上線「鶴瀬駅」周辺、鶴瀬小学校の学区内と推定されます。
ちなみに現在の鶴瀬小学校の学区は埼玉県富士見市の下記のエリアです
上沢1丁目 上沢2丁目 鶴瀬東1丁目 鶴瀬東2丁目 羽沢2丁目 羽沢3丁目の一部(20番32号、22番、23番、25番21~39号)
ご実家は地元ではちょっと有名な存在だそうですが、お父様の職業等は公表されていません。
地元に代々住んでいる方に「神木」という姓の方が多いことは事実でした。
「実家が地主で裕福」説は、このことから推測されたのか、または実際にご実家を知っている方が明かした事実なのかは判明しませんでした。
神木隆之介の家族構成は両親、祖父母、姉の6人家族
神木さんはインタビューなどで、家族構成を「両親、祖父母、姉の6人家族」であるとたびたび話されています。
上の写真はかつてテレビ番組で紹介された際のものですが、神木さんが1歳ごろの写真と思われます。
神木さんはお父様にもお母様にもよく似てらっしゃることが分かりますね。
ご家族について分かっていることをまとめます。
神木隆之介の父親
神木隆之介さんのお父様については、神木隆之介さんが11歳のころのインタビューで、
- キャッチボールをしていてもお父さんは30分ぐらいですぐに飽きてしまう
- 神木さんは電車が好きだがお父さんは車のモーターやサーフィンやテニスが好きで趣味が合わない
- 食事にハンバーグが出るとお肉だけ食べて野菜は残すような人
- お母さんとは海で出会った。プロポーズの言葉は「忘れた」と言って教えてくれない
- よく物を失くして神木さんが探してあげている
などと語っています。
本当にどこのご家庭にもあるような微笑ましいお父さんと息子の1ページというかんじですね。
神木隆之介の母親
お父さんに関する情報が少ない一方、お母さまについては神木さんはよくインタビューなどで触れています。
神木さんにとっては「人生の師匠」と言える存在で、とっても尊敬しているそう。
今でも休日にはお母さまと2人でのんびりお茶をしたり、買い物に行ったり、本当に仲の良い親子関係のようですよ。
デビューのきっかけは生存率1%の重病からの生還
まず、神木さんのデビューはお母さまが事務所に応募したのがきっかけだそう。
神木さんは生後間もないころ、4カ月にわたって危篤状態で、病院の集中治療室で生死をさまよったそうです。
「生存率1%」と言われる状況を奇跡的に脱し、4か月後に回復するとお母さまは「この子の生きている証(あかし)を残したい!」と思って、子役オーディションに応募。
見事合格して、俳優・神木隆之介が誕生したというわけです。
ただ、お母さまの「生きている証(あかし)を残したい」という思いは、2歳の時に初めて出演したCMで叶ってしまったため、その後の芸能活動については「いつ辞めてもいい」というスタンス。
その後は神木さんの「もっとやりたい」という気持ちに従って活動してきたそうです。
子役時代からプロ意識を教えてくれた母
子役時代はいつも現場に付き添っていたお母さま。
「妖怪大戦争」の現場では、当時若干11歳だった神木さんの足に重りをつけて、水に沈める…というとても厳しい演出があったのだそう。
それをそばで見ていたお母さまは「煮るなり焼くなりいかようにも厳しくしてください」というスタンスで、文句を言ったり、撮影を止めたりはしなかったそう。
これはなかなかできないことです!
また、お母さまはいつも神木さんに「年齢は関係なく現場にいる人間は全員プロ」とも言い聞かせていたそうです。
小さなころから素晴らしい演技をしてきた神木さんの考えを形作ってきたのはもちろんですが、
現在の神木さんは「スタッフ・キャストとも年齢やキャリア関係なく、みなさんに対して同じように親しく振る舞う」と共演者からもよくコメントされています。
その理由もこのへんにあるのかもしれないですね。
ちなみに、そんなお母さまは演劇部出身だそうです!神木さんの才能はお母さま譲りなんですね。
人生の転機になった母の言葉
俳優としては常にヒット作に恵まれ、これ以上ない順風満帆な道を歩んでいるかに見える神木さんですが、
常にヒットする作品を求められるゆえか、やがて演技での失敗を恐れて「役者を辞めたい」とまで思う、精神的にとてもつらい時期があったのだそう。
そんな時お母さまからかけられた言葉が
『この世界にあなたを入れたのは私だし、あなたが続けたいと言ったからそうさせたけど、正直今も心配している』と言いました。『重い作品で役にのめり込みすぎて、心が壊れたりしてほしくない。親としては、息子がどんな職業でも元気で楽しく生きていてくれれば、それでいいのよ』
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という言葉。この言葉のおかげで「役者を辞めてもいんだ」と思うことができ、ふっと楽になったと言う神木さん。
また、お母さまは小さいころから学業でも芸能活動でも「人と比べる」ということがなかったそう。
神木さんの唯一無二の才能が発揮できた理由にはこんなお母さまの子育て法があったのですね。
神木隆之介の愛されキャラをつくった「家訓」がスゴイ
神木さんがよくインタビューで話されている「神木家の家訓」があって、その内容がなかなかスゴイです。
- 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
- 「正反対の意見でも一度は受け入れなさい」
- 「性格のかわいい人でありなさい」
こちらを考えたのもお母さまで、神木さんもいつも心に留めているそう。
ちなみに「性格のかわいい人」というのは、「素直」「かわいげがある」という意味だそう。
神木隆之介の姉
神木さんのお姉さんは11歳年上ということで、お姉さんにとっては歳の離れた弟で喧嘩などはほとんどなかったものと思われます。
今でもとても仲よくしているそうで、神木さんは「親友みたいな存在」だと話しています。
よく電話で話すこともあるのだそう。
神木さんが10代のころにはお姉さんの子ども、神木さんにとっては姪っ子が生まれ、神木さんは溺愛しているそうですよ。
神木隆之介のプロフィール
最後に神木隆之介さんのプロフィールをご紹介します。
本名:同じ
出生地: 埼玉県富士見市
生年月日: 1993年5月19日 (年齢 30歳)
学歴: 堀越高等学校 (2009年~2012年)
身長: 167 cm
デビュー:1995年CMデビュー、1999年『グッドラック』でドラマデビュー
主な作品(映画):『妖怪大戦争』『桐島、部活やめるってよ』『るろうに剣心 京都大火編 / 伝説の最期編』『バクマン。』『3月のライオン』『フォルトゥナの瞳』『大名倒産』
(声優):『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』『サマーウォーズ』『君の名は。』『すずめの戸締まり』
(ドラマ):『義経』 『探偵学園Q』 『11人もいる!』 『家族ゲーム』 『いだてん〜東京オリムピック噺〜』 『コントが始まる』 『らんまん』
まとめ:神木隆之介にお金以上に大切なものを教えてくれた母の愛
神木隆之介さんの実家はお金持ちなのでは?と調べてみましたが、神木さんのお母さまが、お金以上に人として大切なことを教えた方だったこと、愛情いっぱいの仲良し家族だったことが分かって胸が温かくなりました。
神木さんの誰にでも愛されるキャラクターや、謙虚な人柄はこんな家族に育まれたものなんですね。
これから、さらに年齢を重ねて、神木さんがどんな俳優さんになっていくのかが楽しみです!